つつじ祭り 演武(天道流薙刀術)練習風景


11時〜広場特設舞台において
中国琵琶(エンキ)
舞楽「迦陵頻」(鳳舞会)
演武(天道流薙刀術)

が行われます。

天道流薙刀術の浦部育子先生と演武を披露する子ども達に話を伺いました。
演武の見どころは・・・

【衣装である白の胴着と紺の袴のコントラストがかっこいい】
【キリッとした動き】
【日本の伝統文化を感じられるところ】
子ども達の基本を少し、しかけ応じを披露していただきます。

 

浦部育子先生プロフィール
高校1年よりクラブ活動で薙刀と出会う。
神戸松蔭女子学院大学に進学、1年生で薙刀のクラブを創部。卒業してから大学の職員となり、クラブの指導をコーチ兼監督として行う。今年薙刀を指導し始めてから50周年の節目の年を迎える。途中、大学の学舎が垂水から六甲に移転。強化クラブに指定された頃からクラブは強くなり、全国大会団体の部10回優勝(うち9回は監督として)、個人戦4回優勝、しかけ応じ7回優勝。

天道流とは
天道流は、およそ450年前、江戸の武芸家たちが修練し、僧侶・医師の武器として普及したものです。

なぎなたの起源は詳しいことは分かっていないが、たちから変化したものと言われています。戦いの際に離れた相手に向かう時に有利であるということから、刀の柄を長くして工夫改良されてきたようです。天慶の乱(935-941)に「長刀」が使用されていたようです。
 「なぎなた」という呼び方は、久安2年(1146年)源経光が持っていた兵杖を説明して「奈木奈多」とあり、この頃から世にあらわれたと推察されています。

「なぎなた」ははじめ「長刀」の文字を使用していたが南北朝時代、5尺、7尺という長い刀を用いるようになったので、これと区別するために、人馬を薙ぎ払う意味から「薙刀」の文字を用いるようになったといわれています。

 「薙刀」は徒歩、打物、合戦の武器として僧兵などに好まれていた。世に知る源義経の家来となった弁慶がもっていたことで有名です。戦いも様式が変化し、薙刀よりもながい槍の利用が多くなり、また鉄砲の伝来などで戦闘の様式が変化し、一騎打ちに有利だった薙刀は次第に僧兵や医師、婦女子などの専用する武器に移行していきました。
 その後、江戸時代に入ると次第に刀の部分や柄の部分が短くなり、主に婦人の護身用として用いられるようになり、武家の子女は、必ず心得として薙刀を稽古し、嫁入りの際には必ず持参したようです。
また薙刀術に多くの流派ができ、それぞれ基本の形が考案されました。


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薙刀

薙刀

薙刀