廣田神社の御沿革


廣田神社は、上代から中古にかけて、国家鎮護・天地自然・立身出世・武運長久に御霊験高き神として、全国的に延喜式内の官幣名神大社として厚遇されました。

 「伊勢大神宮御同体」の兵庫県下第一の御社格御由緒の大社として広く崇敬を集め、中世には「西宮参拝」と称して国家の神事を司った神祇官の
歴代長官や公家・五山の僧侶たちが度々に亙って参詣し、物語や和歌・今様・漢詩に多々その痕跡を残しています。


献燈祭本殿にて

廣田神社献燈祭


 大同元年(806)封戸四十一戸、貞観10年(868)従1位昇叙、延喜年間(901~923)官幣名神大社・相嘗(あいなめ)祈雨の奉幣に列し、正暦2年(991)19社の一社に加えられ、朝廷 より恒例・臨時の奉幣(ほうべい)枚挙たることが古記録に残っています。白河天皇の時代(11世紀末)には、全国神社に冠たる勅祭22社の一社にも県内で唯一社選ばれ、朝廷・公家の篤い崇敬を受けました。

 武家の崇敬も篤く、源頼朝は元暦元年(1184)平氏の討伐を祈願して淡路・広田荘を寄進し、豊臣秀頼は慶長9年(1604)大規模な改築を末社・戎社(現在の西宮戎神社)を含み行い、徳川吉宗は現今の地に遷宮しました。

 明治4年(1871)には兵庫県内で唯一、最高位である官幣大社に列せられました。

 御社殿は、伊勢神宮戦後初の式年遷宮に当たり荒祭宮(あらまつりのみや)旧社殿の譲与を受け、昭和31~38年(1956~63)に神明造にて造営がなされました。

 平成13年(2001)には御鎮座1800年の喜節を迎え、天皇陛下よりの御幣帛を奉って式年祭・奉幣奉祝祭を齋行致した廣田神社は、悠久の歴史と高貴な社格、深遠な由緒を有する、日本全国の10万社を代表する1社です。