廣田神社の御宝物


▶剣珠……「日本書紀」仲哀天皇2年(193)の条に、「神功皇后が関門海峡長門豊浦の津に泊まり海中より如意珠(こころままのたま)を得らると見ゆるも是なり」とあり、剣の形の現れたることから、剣珠と称された現存する日本最高最古の如意宝珠です。八幡大神(應神天皇)・神功皇后に戦勝を授け、高野山を鳴動させた神通の霊宝として著名です。

 

▶源頼朝寄進状

 

▶後柏原天皇御宸筆
▶孝明天皇綸旨
▶摂関家御教書


源頼朝寄進状

源頼朝寄進状



−日本第壱如意寳珠 神通の霊宝《劔珠》について−
 能「西宮」に謡われる廣田神社秘蔵の霊宝《劔珠》は、『日本書紀』仲哀天皇二年の条に 神功皇后が豊浦(とゆら)の津にて海中より得られ給うたと記された〈如意珠〉が、今に伝えられたものです。
 水晶の玉中に劔の顕れたる如意宝珠にして、この宝珠を得られてからの神功皇后は連戦連勝にて、本邦建国の海外大遠征の切にも皇后並びに胎中天皇(大神天皇= 八幡大神)の玉体を奉護し、大勝利を得て無事御凱旋を果たさせたる神通の霊宝として尊崇されました。
 古く『万葉集』に「玉映やす武庫の~」と《劔珠》に因んだ枕詞が読み込まれ、後白河天皇編の 『梁塵秘抄』の今様には「濱の南宮(廣田神社境外摂社)は如意や宝珠の玉を持ち~」と謡われています。
 『元亨釈書』は甲山神呪寺の開基如意尼の伝に、『類従既験抄』は藤原冬嗣 の娘に関連の記事に、 『二十二社本縁』は廣田社の条に、各々海中より得たる《如意宝珠= 劔珠》の件を記録し、五山 文学の雄僧絶海中津は著書『蕉堅稿』の中で「所 劔珠者絶世之奇観也」と、同じく鎌倉時代の著名な禅僧義堂周信もその書『空華集』に所載の漢詩に「霊光夜射九重天」「竜女神珠不直銭」と称賛しています。
 このように世に知れ渡り、謡曲「劔珠」「西宮」の題材ともなった霊宝《劔珠》は、一向宗徒により隠蔽されたこともありましたが、本願寺僧侶の良心によって還納されました。その節には後奈良天皇の聖旨を煩わし、わざわざ朝廷より包装用の金襴の御袋が附せられ、尋常に有らざる御扱いでした。慶安年中(1648~1651)には盗賊の盗むところとなりましたが、毎夜鳴動することを恐れた盗賊により高野山の千手院谷に捨てられ、山谷振動することを怪しんだ寺僧によって発見され返還されたこともありました。
 《劔珠》はいつの時代からか廣田本社に秘蔵されておりますが、中世以前には廣田神社の別宮の浜南宮(現西宮戎神社神域)の根本社である南宮(廣田神社境外摂社)の本殿に祀られており、 その社殿床下には火災等の非常の災難から奉護する為、井戸の設けが有りました。 此の神井は、前出の『梁塵秘抄』に「南宮の宮には泉出でて垂井の御前は潤ふらん~」と謡われ、灘の酒造りを支える世に有名な「宮水」の起源ともなっています。