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境内案内

境内のご案内(廣田神社)

※アイコンをクリックすると詳細画像をご覧いただけます。

■廣田神社(広田神社)の境内利用について
境内を遠足など団体でご利用になる際は事前に申し込みが必要です。前日までに社務所にて申込書にご記入下さい。(トイレ設備あり。境内使用料無料)

■廣田神社(広田神社)の立地について
境内面積は、約53,000㎡。
後方には、神功皇后伝説の残る甲山に接して六甲山を背負い、前方は西宮市外から御前(廣田大御神の眼前の意)の浜・沖、茅沼の海(大阪湾)を望むことができます。
本殿 天照大御神荒御魂
現在の神明造の御社殿は伊勢神宮の第58回式年遷宮の御用材の譲渡を受け昭和31(1956)年から38年かけて改築整備されたものです。
兜麓底績顕彰碑
中村治紋左衛門は広田本宮・南宮・戎の三社兼務の神職であった。
治部は寛永十八年(1641)激しい干ばつの年、生活用水の確保に苦しむ中村をはじめ広田・越水・西宮の村民を督励し、60m余にわたり削岩をする難工事を二年半かけて完成させ、農業用水や生活用水の不安を除いた。
この碑はその功績を後世に伝えるため、明治二十八年に建立された。
齋殿(ときどの)神社(摂社)
御祭神:葉山媛命(はやまひめのみこと)
齋殿神社御祭神・葉山媛命は、神功皇后廣田神社御創建の際、皇后の命を受けて、天照皇大神荒御御魂を御心廣田の国に鎮祭された最初の斎宮で旧暦4月8日の祭日には歴代の神衹伯白川氏は特に深い関心を有して参拝されていたことが伯日記に散見されている。
古くより廣田神社の東北御手川畔に鎮座させられたが、享保12年の遷座にあたり当社も境内西山に遷座し、明治44年末社松尾神社に合祀せられ更に廣田神社本殿復興に際し、一宇を設け祭祀を厳修することになった。現在の祭日は5月8日である。
兵庫県指定天然記念物
コバノミツバツツジ群落
廣田神社のコバノミツバツツジ群落は、西宮市の象徴甲山の南南東の山麓廣田山にあり、廣田神社の外苑約二万平方メートルにわたり十数カ所に別れて大きな群落を形成し、総株数は約二万株にのぼると推定され、昭和44年3月25日、兵庫県指定天然記念物に指定された。
コバノミツバツツジは、落葉低木のツツジ科の植物で、葉が小枝のさきに三枚輪生する特徴があり、葉が伸び出るよりも早く、三月末から四月中旬にかけて一斉に開花する。花色には淡紫・濃紫・白があるが、廣田神社の躑躅は概ね薄紫色で、中には花弁に斑模様を表すものもある。
伊和志豆(いわしず)神社(摂社)
御祭神:伊和志豆之大神(いわしずのおおかみ)

創立年代は詳でないが、清和天皇貞観元年(859)正月27日従五位下より従五位上に進み、延喜の制には官幣小社に列せられる。
室町時代には国の神事を司った神祇官の長官を世襲した白川神祇伯の成を修した六社の内の一社として厚い崇敬を集めていた。
御祭神は一説によれば彦坐命(開化天皇の皇子なる日子坐王で廣田神社を創建せられた神功皇后はその4世の孫に当たる)を祀るといわれている。
もとは廣田本社より東南約 1.5 キロのところに在り、大正6年7月16日に廣田神社の境内に移転したが、戦災後は本社に合祀していた。
平成2(1990)年の御大典にあたり社殿を再建し奉斎することとなった。兵庫県武庫郡の延喜式内社は、廣田神社本社、摂社・名次神社、摂社・ 岡田神社、摂社・伊和志豆神社の四社でいずれも廣田神社の所管である。
第一脇殿 住吉三前大神
(筒之男三神)
第二脇殿 八幡三所大神
(應神天皇、神功皇后、仲姫命)
第三脇殿 諏訪健御名方富大神
(大国様の御子神)
第四脇殿 高皇産霊大神
(宮中八神殿の主神)
五末社
(八坂神社・子安神社・春日神社・地神社・稲荷神社)
松尾神社(末社)
授与所
由緒碑
絵馬掛所
祓所
神池
御神水
手水社
吟道碑
歌碑
社務所
参集殿
注連縄
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